Last updated:2002/6/27

『セカンド・バレンタイン』

『セカンズ』三部作エピソード1

 
 
『あの時』を取り戻せたら・・・。

 5   第4章 『 由  香 』
更新日時:
2002/06/17 
  靖にとって由香は、剣道部の一年後輩であったが、同時に特別な存在であった。つまり中学時代の約二年間、いや、それ以降も、ずっと靖の心の中に息づいている女性だったのである。きっかけは特別な事ではない。靖が中学二年生の春、入部してきた新入女子部員のなかに菅原由香がいた。それだけの事だ。
 陶器のような白い肌としなやかな細身の体。何よりも大きな目と濃い眉が、凛とした印象を与える。そして、時折見せる笑顔はあたかも大輪の花が咲いたかのように美しい少女だった。
靖がそんな由香を、特別な異性として意識するようになるのに、さして時間はかからなかった。気がつくと、部活の間中、靖の目は由香の姿を追うようになっていった。
 剣道の初心者だった由香は何度か、技の習得や竹刀の修理について、靖にたずねてくる事があった。
「三上先輩!お願いします。」
そう言って、少しはにかんだ笑顔を向ける由香。
しかし情けないことに、靖はそんな由香に対していつも逃げ腰であった。
「お、俺に聞くより、和弘のほうが詳しいから・・・。」
そう言って、むしろ由香を遠ざけた。伏目がちに「そうですか・・・。」と小さくつぶやいて、去って行く由香のうしろ姿を目にするたびに,靖はふがいない自分を呪っていた。
(せっかく、あっちから話しかけてくるんだから,親しくなるチャンスじゃないか。なぜそれが出来ない?)
自己嫌悪に陥り、靖は眠れない夜を重ねるのだった。
時には、
(ああやって俺に話しかけて来ると言う事は、由香も俺に関心を持っているということなのではないのか。)
そんな考えがちょっと頭をもたげたこともあった。しかし鏡にうつる自分の顔を見ると、そんな幻想は無残にも打ち砕かれてしまう。
(これじゃ,美女と野獣。いや、美女とコメディアンと言うところか。つりあわないな。)
そう、結論づけるしかないように靖には思えた。
 それでも、学年の異なる由香と同じ空間で、剣道という同じ競技に取り組んでいる。そして、その肢体を視野の片隅に捕らえる事が出来ることは、当時の靖にとってこの上ない、喜びであった。
 
やがて、稽古が一段落した。部員は一列になって正座し,面をはずす。靖は、その時の由香の姿を見逃すまいと思った。今の靖にとっては、十年ぶりに見る彼女の顔である。
 由香は静かに面をはずし、小さな顔をちょっとだけ左右に振る。そして短めに切り整えられた黒髪を、両手でうしろへかきあげた。数滴の汗のしずくが、つややかな白い肌を流れ、彼女は手ぬぐいでそれをすっと拭い取る。
ほんとに何気ない仕草。その一つ一つが、特別なものに感じられるのは、十年という歳月から来る懐かしさではなく、自分が由香を今でも好きだからだろうかと、靖は思った。
 すると、ふっと顔を上げた由香の視線が、靖のそれとぶつかった。
(・・・!)
思いもかけないことに、驚いて視線をはずす靖。しばらくおいて、再び由香を盗み見ると由香の顔はうつむき加減で、もの思いにふけっているように思えた。
(そう言えば,十年後の彼女はどこで何をしているのだろうか。)
十年前の卒業式。卒業生を見送る花道の中で、彼女の姿を発見し、ほんの数秒間視線を合わせた。それが彼女との最後だった。そのときの彼女の瞳が涙で潤んでいたように見えたが、それが自分のためのものでないことを、靖は知っていた。
と、そんな靖の思いをさえぎるように、隣に座していた和弘が声を上げた。
「菅原!ちょっと!」
和弘が由香を呼んだのである。由香は、一瞬左右に顔を巡らせると、ちょっと顔を紅潮させて、ゆっくりと立ちあがった。和弘も立ちあがり、二人は連れ添うようにして、防具を保管してある倉庫に入っていった。
(そうだ!確かに、こんな事があった。)
靖は、十年前の自分の記憶が今になってやっと蘇ってきた。まるでそう、デジャビュウのように・・・。和弘と由香、二人が倉庫に入る。その時の嫉妬心による胸の痛みが、十年前のそれと重なって今の靖の心を大きく揺らしていた。
後輩部員のそちこちから、ひそひそと話す声が聞こえる。靖にはその内容が大体想像できたが、後輩の思惑などどうでも良かった。靖は,膝に置いた両手に力をこめ、その長く思われる時間を耐えた。
やがて、二,三分すると、はじめに由香が急ぎ足で出てきた。靖の脇を通りぬけるとき、ちらっと、由香が靖に視線を投げかけたが、靖は気がつかなかった。そのあとを追うように和弘がゆっくり姿をあらわすと、
「靖。もう、帰ろう。」
そう、促した。二人は、また集まって挨拶をしようとする後輩たちを制して、そのまま武道館を出た。
しばらくの間、二人は黙って歩いた。歩きながら靖は、のこのこと和弘のあとをついてきたことを後悔していた。
(今日,二人のあの場面を見ることは、わかっていた事じゃないか。それなのに・・・。)確かに,靖が目撃しようがしまいが、つまり和弘について来ようが行くまいが、今日のあの二人の逢瀬は、必然的にあったのだろう。しかし、目の前にするのと,そうでないのとでは心理的ダメージは、大きく違うように靖には思われた。
「あのさ。」
と、靖の半歩前を歩いていた和弘が、前を向いたまま独り言のように話し出した。
「俺,初めてラブレターってやつを書いちゃったよ。」
「・・・・・。」
「それを、今,菅原に渡してきた。」
「・・・・・。」
黙っている靖に、足を止めて振りかえった和弘が,複雑な表情で、言った。
「おかしいか?俺?」
「い、いや・・・。」突然の事にどういって良いか戸惑う靖。
「・・・いいんじゃないか?勇気あるよ。カズ。」
靖は,めまぐるしく回る思考の中で、そうこたえるのが精一杯だった。
和弘は、ふっとため息をついた。そして、夕暮れ近い空を見上げながら口を開いた。
「・・・夜、布団の中に入るとさ。あいつの、菅原の顔が浮かんでくるんだ。」
「・・・・・。」
「そうすると、眠れなくなる。なんか胸が熱くなってさ。」
そして、和弘はおもむろに靖をかえりみた。
「ヤス。お前,そんなことないか?」
「さっ、さあ、どうかな?」
「・・・そうか。」
和弘は、落胆したようにうつむく。と、次の瞬間大きく背伸びをした。
「とにかく、・・・返事はバレンタインの日にもらう事にした。ちょっとはすっきりしたよ!」
「・・・・・。」
「つきあわせて、悪かったな。それじゃあな!」
そういうと、和弘は、走っていってしまった。
取り残された靖は、和弘の小さくなって行く背を見つめ、しばらく動く事が出来なかった。
 


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