Last updated:2002/6/27

『セカンド・バレンタイン』

『セカンズ』三部作エピソード1

 
 
『あの時』を取り戻せたら・・・。

 3   第2章 『 回  帰 』
更新日時:
2002/06/14 
  ぼんやりと意識が回復してくるのを靖は感じていた。しかし、いわゆる五感は、何も感じられない。ただ、真っ白な空間の中を、水中深くから体全体がゆっくりゆっくり、浮上してくるような感覚に囚われていた。痛みも、熱さも、苦しさも、そこにはなく「自分」という不確かな存在があるのだけは感じ取れた。記憶や、時の流れ、そういった概念から解き放たれた「自分」。重くも,軽くもなく、やがて,海上に浮き上がったように、ゆらゆら漂っている,
(ここは?)
音もなく,光も見えず、感触も、においも感じられない。にもかかわらず、真っ白な世界がそこに広がっているのだけはふしぎと感じ取れた。
 そして、少しずつ、体中に新しい血液が満たされて行くように、彼の五感は回復していくのだった。
 まず、感じたのは匂いだった。消毒液のような匂い。そして、体中の痛み。最後に、視界が静かに広がって行った。真っ白な世界からフェイドインするように、明るい蛍光灯の光が目を差した。
(ここは、どこ?俺は?・・・どうしたんだ?)
まだ、ぼやけている視界の中に広がっているのは、靖の周囲を狭く囲んでいる白いカーテンと、天井の蛍光灯。どうやらベットに横たわっている事だけは、間違いないようだと靖は思った。
(病院?俺は病院のベットに寝かされているのか?)
消毒液のような匂いがそれを裏付けているように思われた。靖は,ゆっくり右手を動かす。
(・・・大丈夫。動く。)きしむような違和感があったが,靖は、手のひらを顔の前まで持ってきて眺める事が出来た。今度は,両手を支えにして、上半身を起こそうとしてみる。
ゆっくりと、慎重に。体の節々の痛みや、後頭部にへばりつくような重さを感じたが、上半身は、思うようにコントロールできた。
 しばらく、ベットに座ってぼんやりと思考を巡らせる。すると、ふっと記憶がよみがえってきた。小雪の降る凍りついた道路。夜道を照らすヘッドライトの軌跡。そして・・・自分に迫ってくる巨大な車体。大型バスだ!
(そうだ!俺は,バスと・・・!)
体を貫いた、凄まじい衝撃がまざまざと思い起こされる。
(それじゃ、やっぱりここは、病院なのか?)
改めて靖は、あたりを見まわす。白い壁、そして、三方を囲むように白い、あまり新しいとは言えないカーテンが張り巡らされている。病院の一室と言えば、そう言えなくもない。しかし、と靖は思った。
(あれだけの事故だったのにもかかわらず、この体は?)
なんの外傷も見られず、治療を施された痕跡も見られない。一瞬の事だったが、死をも覚悟したのに・・・。奇跡的に助かったのか・・・・・?それでも、かすり傷一つ負わなかったなんて・・・。靖は信じられないと思った。
(いや、あの事故自体、夢だったのかも・・・。)今度はそんな疑念が頭をもたげてきた。(とにかく、ここが病院なら、医者に話を聞くなりして、状況を把握しよう。)
靖はベットから,そろりと立ちあがると、カーテンをめくった。
(・・・・・?!)
その靖の目にうつったのは、意外な光景だった。いくつかの,長いすと、机、そして本棚。大きめのスチールの棚には、薬品らしいものが並んでいる。病室に似てはいるが、そう、これはまるで、学校の「保健室」を思わせる部屋。
(どういうことだ?)
靖は、まだ足元が定まらない体で、ふらふらと机に近づいていく。すると、その上に「保健日誌」と記されている冊子を見つけた。
(こ、これは!)
中学校の教員である靖にとって、その日誌の存在が意味するところはたった一つだった。「ここが学校の保健室である」と、いうことである。
そして、その日誌の記述が、さらに靖を驚かせる事になる。
保健日誌の上部には確かな筆遣いで、
「平成二年度 水島中学校」と、記されていたのである。
(ばかな!)
靖は思わずうめき声を漏らしていた。
今は、平成十二年度、そして、日付は平成十三年二月二日だったはずなのだ。学校を出る直前、担任している学級の学級日誌をチェックしてきたのだから、間違いない。
(大体,平成二年度といえば・・・、俺はまだ中学校の三年生だ。)
さらに「水島中学校」の文字。今現在、靖が勤めている学校名とはまったく異なる。そしてまた「水島中学校」は、靖が卒業した母校の名前に他ならなかった。
(これは!どういうことだ?俺は,頭がおかしくなったのか?)
両手で頭を抱える。
(あっ!・・・)
両手に伝わる感触に違和感があった。
(か、鏡・・・。鏡は?)
靖は、小さな洗面台の前に貼り付けられている鏡を見つけると、恐る恐るそれをのぞいた。そこに映し出されたのは、七三に髪を分けた青年の姿ではなく、坊主頭をくりくりさせた少年だった。そう、それは紛れもない中学三年生当時の靖の姿だったのである。よく見れば,服装も白いワイシャツに、よれよれの学生ズボン。今朝、学校へ身につけて行ったはずの紺のスーツではない。
(どうかしちまったのか?俺は?)
洗面台の蛇口をひねり、水を出すと両手でそのしぶきをすくって、顔を洗う。二回、三回。そして、ワイシャツの袖口で無理やり水をふき取ると、もう一度鏡をのぞき込む。しかしそこにはやはり坊主頭の少年の顔が、先ほどよりも青ざめてうつっているのだ。
靖は、よろよろとそばにあった長いすに座り込んだ。胸の動機が高鳴っていくのがわかった。右手で左胸をわしづかみにする。
(落ち着け!落ち着け!落ち着いて考えるんだ!)
やがて、心臓の高鳴りはおさまっていったが,だからといってこの不可解な状況を説明できる何事も、思いつかない。
 漫画やSF映画の世界で言う「タイム・スリップ」。映画好きであるにもかかわらず、靖がその考えにたどり着くのに、しばらくの時間を要した。
(現実にそんな事が・・・?)にわかには信じられないが,鏡の中の自分の姿は否定のしようがない。どんなトリックを使っても、一人の人間を二十代半ばから、十代半ばまで若がえさせる事は不可能であろうし、また、誰かが手間隙かけて、こんな大げさなトリックをする理由もないだろう。
と、その時,ごそっという物音がした。靖はびっくりして立ちあがる。音は,靖がさっきまで横たわっていたベットの隣からしている。そこもまた、カーテンに覆われていた。靖はゆっくり歩み寄ると、カーテンをそっと開け中を覗き見た。そこには,もう一つベットがあり、少女が一人、毛布にくるまって横たわっていた。少女はまだ眠っているらしくその呼吸とともに毛布がわずかに上下している。
(この女の子は・・・。)
靖は,その女の子の顔を覗き見ようとしたが、わずかにその肌の白さが確認できるだけで、その面立ちは毛布に隠されて良く見えなかった。ただ、男子は全員、坊主頭の水島中学校にあって、毛布からのぞく髪の毛が、そのベットの主が女生徒であることを、物語っていた。
と、突然、部屋のドアが開いた。
「あら、三上君。やっとお目覚めのようね。」
低い女性の声。あわてて、カーテンを閉め、声の主のほうに体を向ける。そこに立っていたのは、白衣をまとった四十代ほどの中年女性だった。
(へえ、あの頃とかわんねえや。)
靖が中学校時代、養護教諭として、保健室にいた吉田先生だった。本来であれば,もう、五十を過ぎているはずだが、そうは見えない。靖は,ここがまぎれもない十年前の「過去」なのだということを認識せざるを得ないと思った。
「だいじょうぶ?あなたが倒れるなんて、初めてだから・・・。」
「えっ?俺,倒れたんですか?」
「そうよ。まあ、記憶がないのね。帰りのホームルーム中に、いすから転げ落ちたって。見たら、呼吸も脈も正常だったから、しばらく様子を見ていたんだけど・・・。どう?調子は?」
「えっ、ええ、だいじょうぶです。」
「それなら一人で帰れるかしら?さっき、お家のほうに電話したんだけど、誰も出なかったようだから・・・。」
靖は,部屋の時計を見上げる。
(五時ちょっと前か、まだ、家には誰も帰ってないな。)
「だいじょうぶです。一人で帰れますから,」
「そう。」
吉田先生は、安心したように笑みを浮かべると、長いすの一つに置かれているコートやカバンを指し示した。
「それじゃ、ここにあなたのカバンとか持ってきてもらっているから、気をつけて帰ってね。」
「はい。」
靖は,学生服とコートを身につけ、カバンを背負う。と、ちょっと思いついて聞いてみた。
「先生。今日って、何年の何月何日でしたっけ?」
「ええっ?何,突然。」
「いえ、ちょっと・・・。」
「まあ、いいわ。平成三年の二月二日でしょ。しっかりしてよ!受験生!」
「・・・・・はい。ありがとうございました。」
弱々しい声でやっとそれだけ言うと、靖はそそくさと保健室を後にした。
 
(やっぱりそうだ、俺は中学時代に時間移動している。いや、意識だけが過去の体に飛び込んできたと言った方が正しいか。)
これは、もう靖にとって、否定しようのない事実だった。靖は薄暗い廊下を見渡しながら、しばらく立ち止まって、思案に暮れた。その廊下もまた、彼にとっては懐かしい母校のものなのだ。
(とにかく、家に帰るか。でもなあ・・・。)
自分の帰る家は、十年前の我が家なのだ。社会人ではない中学生の子どもとして帰らなければならないと言う事は、つまり家庭の中で「中学生である自分」を演じなければならない。こんな窮屈な事があるだろうか?
(考えていても仕方がない。帰ってみて、それからだ。)
靖は、やっと歩き出した。下駄箱から自分の外履きを探す作業にちょっと手間取り、外に出た頃は、もう、真っ暗だった。鋭い寒さに、思わず身震いし,ポケットに両手を突っ込む。
(そう言えば,車にも乗れないのか。中学生は不便なものだ。)
最近,大人になった自分に少々嫌気が差していた靖だったが、今は,中学生と言う自分の身分がかえって恨めしかった。
 
 家への道は、見るものがみな、懐かしさにあふれていた。部活帰りに、仲間でジュースをあおった小さな駄菓子屋。友人とふざけていて、自転車ごと飛び込んでしまった小池。すべてが懐かしい。単なる帰郷なら、その想いに胸を熱くしていれば良いのだろうが、これからの自分の身を考えると、そんなセンチな気分にはなれなかった。しかし、一方で一晩寝れば、もとに戻っているんじゃないかしら、と楽天的に考えている自分がいた。
 
 家にたどり着くと、母親が帰っているらしく窓から灯りがもれていた。
(俺が中学三年生と言う事は,今,我が家は三人家族と言う事になるな。)
靖には一人兄がいたが,靖が中学三年にあがった年に高校を卒業し、S市にある会社に就職、アパート暮らしをしているはずだった。
「・・・ただいま・・・。」
小さな声で、玄関の戸を開ける。母親は、気づかなかったらしく、台所のほうでカタコトと夕食の準備をしている。靖は,こっそりと自分の部屋へ入った。
ドアをそっと閉めると、机にカバンを放り投げ、ベットにねころむ。
(原因は,やはりあの事故なんだろうな。)
靖は,あの衝撃を体全体で覚えていた。
(今の、いや、現時点から見れば未来の俺の体は、どうなってしまったんだろうか?死じまったのか?)
考えても,考えても答えは出ない。相談しようにも、こんな事誰が信じてくれよう。一笑にふされて終りだ。
靖は坊主頭をかきむしりながら
(はてさて、これからどうなる事やら・・・。)
また思案に暮れるのだった。
 


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