Last updated:2018/7/4
『まほろばの項』

過去・現在・未来からこぼれ逝く言葉の雫

 17    ばあちゃん・・・。
 「ばあちゃん子は三文安い」そんなことわざがあったように思う。実は僕はその「ばあちゃん子」だ。傍目から見たら「三文どころか一両も安い」かもしれない。その程度の男だ。でも、僕はばあちゃん子だったことを恥じたことは無いし、ばあちゃんをこの上なく愛していた。「無償の愛」というのは確かにこの世にあって、それを教えてくれたのが他ならない祖母、ばあちゃんだったのだから・・・。
 そんなばあちゃんも今はいない。5年前に83歳で他界してしまった。十人も子どもがいて、孫の数も40人を超えた祖母。葬儀の時には、そんな多数の中から僕が選ばれて弔辞を読んだ。
 ばあちゃん。実家に「ただいま」と帰ると、誰よりも先に駆け寄ってきてくれたのが、ばあちゃんでした。そして、座るなり、「お茶のまいん。これ食べらいん。これも、あんたのためにつくって待ってたんだよ。」そう言って次から次へと、料理を並べて行くばあちゃん。僕は苦笑いしながら、それをほうばったものでした。そして、仕事のために実家を離れる時、一番別れを惜しんでくれたのもばあちゃんでした。
「また、こいな。待ってからな。」そう言って僕の乗る車の窓にひっつくばあちゃん。
「ばあちゃん。あぶないよ。車出せないから、もうちょっと離れて。」
「うん、うん。必ず、またこいな。」
それでも中々離れようとしなかったばあちゃん。バックミラーに写るその姿が小さくなっていくばあちゃんは、いつまでも僕を見送っているようでした。
 そんなばあちゃんの口癖「おら、学ねえからな。」少女時代、家が貧しく、学校に充分通えなかったと言うばあちゃん。
 でも、ばあちゃん。「学」なんて関係ないよ。今ここにいる、ばあちゃんの子どもや孫は五十人を超えている。ばあちゃんが、いなければ生まれなかった命だよ。ばあちゃんがいたからこそ育まれた家族だよ。ばあちゃん。そんな、ばあちゃんは誰よりもきっとすばらしい。胸を張って、天国に行って。そして僕等を見守っていて・・・。ばあちゃん。ばあちゃんの孫として僕も胸を張って生きていけるように頑張るから・・・。さようなら・・・ばあちゃん。
こんなことを、読んだと思う。読みながら僕は泣いた。「83歳だもの。大往生だよ。」そう言って静かだった会場も、ぼくが紡ぎ出す言葉で、いつしかみんな声を上げて泣いていた。みんな、ばあちゃんを愛していたんだ。
 ばあちゃん。あなたの血を受け継いだ一人が、今こうして生きています。あなたの望んだような人間にはなれなかったけれど、必死にもがきながら生きています。だから、見ていて。いつかきっと僕なりの「幸せ」をつかむ時を・・・。
 



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