小説『ソフテ!!』

 ★二人の少女が出会い、そして青春が加速する!
   7  ほんとうのこと
 藤原が運転する4WDの大型車が幸子を後部座席に乗せて走り出したのは、午後7時を回った頃だった。香織の自転車がそのすぐ後ろを追いかけて走り出す。見失うわけにはいかない。
(そう言えば私、白鳥さんの住所も電話番号も知らない・・・)
今更ながら、香織はパートナーのことを何にも知らない自分に唖然とした。だから、藤原の車の後を追いかけて見極めようと思ったのだ。
(見極める?何を?なんで私はこんなことをしてるの?)
先ほどまでの練習で体はぼろぼろだ。自転車で車を追いかけるなんてバカげている。そんなことは分かっている。それでもそうしなければいられない自分がいた。
 幸い、家路を急ぐたくさんの車で道路は溢れており、ちょとしたラッシュアワー状態だ。香織は死にものぐるいで自転車をこがなくてもゆうゆうと藤原の車を追いかけることができた。むしろ前に出すぎて見つからないように気を遣うことになった。
 20分ほど走った頃、車は主要道路から離れて細い道に入り、あるアパートの駐車場に入って行った。
(ここって・・・!?)香織はそのアパートを見て愕然としてしまった。
 去年、練習試合で先輩たちと隣の十津川中学校まで自転車で出かけたことがあった。その帰り道、キャプテンの高橋亜由美がわざわざ遠回りして部員に紹介したのが、このアパートだった。
「ここが藤原先生のアパートよ。二階の一番右手の部屋がそうなんだって。・・・こらこら、リサ、石なんかぶつけないように!」そしてみんなで大笑いしたのだ。
(なんで?白鳥さんの家に行くんじゃなかったの?)香織は止めた自転車が大きな音をたてて倒れたのにも気付かず、呆然とアパートの二階の一室に寄り添うように入って行く二人の姿を見ていた。心臓はバクバクと鳴っている。頭の中ではいろんな妄想が繰り広げられていた。
(二人は恋人同士だったの?ううん。白鳥さんが弱っているのをいいことに、先生が彼女を連れ込んだんだ。)そうかもしれない。だったら助けなければ!
 香織は二人が消えたアパートの部屋に向かって駆け出していた。コンクリートの階段を駆け上り、202号室の部屋の前に立つと深呼吸を二回繰り返した。そして、右手でドアを叩く。ドンドン!力が入りすぎたか。でも、そんなことにかまっていられない。もう一度ドンドンと叩こうとしたら、ドアがガチャンと開いた。藤原が顔を覗かせ、そこに立っているのが香織だと知ると驚いて目を見開いた。
「・・・香織!?」
「・・・・・」香織は何も言えず、ただただ立ち尽くしていた。
「なんでお前、こんなところで泣いている?」
藤原の言葉で、初めて自分の頬をかなり大粒の涙がボロボロと流れ落ちていることを香織は知った。藤原の背後から少女らしい声が聞こえてきた。
「千葉さん?」幸子の声だった。
「ああ・・・。」藤原がこたえる。「どうやらばれちまったようだ。」
香織は溢れ出る涙を拭おうともせずに、藤原をにらみつける。
「ばれちまったって、どういうことですか?!」
「仕方がない。入れ。そんなところで泣かれてちゃ、変な誤解を受ける。」
藤原が香織の腕をつかんで、部屋の中へ引き入れた。玄関を入ると、すぐにダイニングキッチン。その奥にもう一部屋あるようだが、今は戸が閉まっていて中の様子は分からなかった。
「今、そっちの部屋で幸子が着替えている。俺は荷物だけ置いて、自分の部屋へ帰るところだったんだ。」
「自分の部屋って、ここが先生の部屋じゃないですか!?私、亜由美先輩から聞いて知ってるんですよ!」
「だから、俺の部屋は隣の201号室。ここは、幸子の部屋で202号室だ。だいたい、なんでお前怒ってんだ?」
「当たり前じゃないですか?!白鳥さんとどういう関係なんですか?二人で何してんですか?!私は・・・わたしは・・・」あとはもう、言葉にならず、香織は大声で泣き出してしまった。
「ああ、もう面倒くせえなぁ」
藤原がさじを投げて頭をかいていると、着替えが終わったのだろう、幸子が戸を開いて顔を覗かせた。「賢ちゃん。もういいよ。私からちゃんとお話するから。千葉さん。こっちの部屋へどうぞ」
幸子の穏やかな声に誘われて、香織は泣きながらのろのろと歩き出した。そして心の中でつぶやいた。
(ちょっと、ケンちゃんて何?)
 
 幸子の部屋は窓際にベッドがある他は、小さな座卓が置かれているだけでおよそ質素なたたずまいだった。それでもベッドの上の掛け布団はピンクのチェック柄で、女の子らしい。
「ごめんなさい。お客さんが来るなんて考えたことなかったから、これ敷いて座って。」
いつもは幸子が使っているのだろう。丸いクッションを差し出され、香織は黙ってその上に腰を降ろした。座卓をはさんで向かい側に藤原がどっかりと座って腕組みをしている。スウェット姿の幸子がベッドに腰を降ろすと、困ったような笑顔を香織に向けた。
「え〜と。何からお話しすればいいかな?内緒にしていた私が悪いんだけど・・・。」
すると藤原が割って入った。
「あのな、お前がどんな関係かって聞くから言うが・・・。」
香織は心臓を高鳴らせながら、藤原の言葉に耳を傾ける。
「俺と幸子は『叔父さんと姪っ子』の関係だ。」
「えっ?」香織が思わず二人の顔を見比べる。それじゃ分からないわよ、と幸子がその先を続けた。
「賢ちゃん・・・、じゃなかった。藤原先生のお姉さんが私のお母さんなの。顔はね、あんまり似ていないと思うよ」幸子がクスクス笑いながら言った。
「へぇ・・・。」ちょっとだけ二人のことが分かってきた。さっき幸子が藤原を「ケンちゃん」と呼んだのも、幼い頃からそうしてきたゆえんだろう。そして転校初日から、藤原が「幸子」と呼んだのも同じ理由なのだ。
 香織は胸の中で膨らみきったものが急速にしぼんでいくのを感じた。と同時に今更ながら自分の取った行動が恥ずかしく思えた。その時、やおら藤原が立ち上がった。
「その辺の誤解が解ければ俺は十分だ。教え子に変なことした変態教師にされたんじゃ、たまらないからな。」
そう言って出て行こうとする藤原を、香織は出口まで追いかけ、すみませんでした、と頭を下げた。「香織。2年近くも一緒にテニスをやっていて、俺がどういうヤツかまだわからんか。」
藤原は苦笑いしながら、香織の頭に右手を乗せるとわしゃわしゃとかき回して出て行った。
(私だって白鳥さんがあんなに美人じゃなかったら、こんな誤解なんかしなかったわよ。)
香織は心の中でそうつぶやき頬を膨らませる。そしてクッションの上に戻って居住まいを正すと、幸子にも頭を下げた。
「ごめんなさい。私の早とちりで押しかけて。今日は具合が悪かったのに・・・。」
「ううん。全然。それに、やっぱり千葉さんには聞いておいてもらった方がいいと思うから。」
「えっ?」
「なぜ、私が両親がいる家から出て、賢ちゃんの隣に住んでいるのか。それから、徳倉中学校に転校してきた理由も。」
幸子は両手を胸の前で合わせるような仕草をしながら、言葉を一つ一つ選ぶように話し始めた。
 
 幸子が以前いた中学校は仙台市内にあるバレーボールの名門校だった。幸子自身も小学校時代からスポーツ少年団でバレーボールに打ち込んでいて、高い身長を生かしたスパイクは、幸子をちょっとした有名人にしていた。中学校に上がると当然のように幸子はバレーボール部に入部した。名門校ゆえに練習は厳しいものだったが、幸子は仲間と一緒なら頑張ることができた。単純な基礎練習が続く毎日も、決して苦ではなかったのだ。
 しかし、そんな日常が一変してしまった。きっかけは、幸子が1年生の新人戦でレギュラーに抜擢されたことだった。まず、先輩である2年生が急によそよそしくなった。それまでは幸子のスパイクを褒めてくれていた優しい先輩たちが突然、あいさつをしてもプイッと知らんぷりをした。それはやがて、幸子の同級生である1年生にも波及していった。親友だと思っていた子さえ、離れていった。幸子が試合で活躍すればするほど、周囲はしらけていくように感じられ、幸子は身の置き場所がなくなってしまった。
「私はその時初めて気がついたの。自分はバレーボールが好きだったんじゃなくて、仲間と一緒に何かに打ち込むことが好きだったんだって。」そう話す幸子の目には大きな滴が溢れ始めていた。
 そして、この春の中総体で再びレギュラーに選出されたとき、思いあまった幸子は頑なにそれを拒否した。顧問は驚いて幸子をみんなの前で罵倒したり、あるいは懐柔しようとしたりしたが、幸子はがんとして言うことを聞かなかった。もちろん幸子は、自分がレギュラーを拒否することで事態が一変して、みんなが自分を受け入れてくれるようになる、元通りになるなんて甘いことは考えていなかった。
ただ、自分の意志をみんなに伝えたかった。言葉では聞いてもらえない。それなら・・・。思いつめた上で取った行動だった。だから、それがどんな結果をもたらすかなど考えられなかった。結果は最悪のものとなってしまった。幸子は顧問の指示を聞かない「チームの和を乱すもの」というレッテルを貼られるに及び、部活に行くことをやめたのだった。
 
 そこまで話すと幸子は両手で顔を覆い、声をひそめるようにして泣き出した。おそらく口にはしなかっただけで、いろんないじめも受けたのだろう。それは耐え難いことで、思い返したくなかったことに違いない。それを語らせてしまった。香織は幸子の背中をさすりながら
「ごめんね。嫌なことを思い出させてしまって・・・。ごめんね」そう繰り返すのが精一杯だった。しばらく泣いたあと、幸子は泣き濡れた顔に微笑みを浮かべると香織に言った。
「そんなとき、私は徳倉中学校の試合に出会ったの。」
 
 部活に行かなくなって、ふさぎ込んでいた幸子を、叔父の藤原があの県大会の会場に引っ張り出したのだという。
「最初はね。面倒くさいと思って会場に行ったの。ソフトテニスにも興味がなかったしね。嫌々だったんだけど・・・。」
いつの間にかボールを目で追い、ソフトテニスの試合に集中し始めるようになっていた。試合は終始、天命ヶ丘中学校ペースで進んでいて、素人の幸子の目にも力の差は歴然だった。
(あ〜あ、早くあきらめればいいのに。なぜ徳倉中の子たちは、あんなに粘っているんだろう?)
正直、幸子はそう思った。しかし、それが常勝軍団のバレーボール部にいたおごりだと気付くのに、時間はかからなかった。徳倉中学校は第1パート、第2パートがほぼストレートで負け、試合はもう決していた。そんな時に現れた第3パートの試合が、幸子の心を奪った。後衛の小さなお下げの女の子が、挑むような表情でコートの上を駆け回る。取れるはずもないボールに食らいつき、勢い余って転んでは起き上がり、また挑んでいく。気がつくと、幸子は両手を握り合わせて徳倉中学校のペアを応援していた。そのペアはどちらがミスしても(大抵は前衛の子のミスだったが)互いに手を繋ぎ合わせて「ファイト!」と声を掛け合い、次のボールに臨んで行くのだった。はじめはラケットにかすりもしなかったボールが、ラケットの先に触れ、ガットに触れ、ついにはリターンできるようになった。そして奇跡のような1ゲーム奪取。幸子は歓声を上げていた。まるで自分のことのように。奇跡はその1ゲーム限りだったけれど。
「試合が終わったあとね。賢ちゃんが私のところまで来て言ったんだ。『どうだ。いい試合だったろ?良いチームだろ?うちの学校は。』って・・・」
 そう話す幸子の顔はいつの間にか晴れやかなものになっていた。
「だから決めたんだ。私。『あのお下げの子と最高のチームを作りたい』って」
 いつの間にか、香織の方が泣き出していた。
 決断した後の幸子の行動力は、想像に難くない。仙台市から気仙沼市への、それも部活のための転校など、幸子の両親が簡単に許すはずもなかった。
「最後にはね。賢ちゃんがバックアップしてくれたの。『幸子の二度とない、中学校生活をこのまま味気ないものにしていいのか?』って。」
 結局、責任を取らされる形で藤原はたまたま空きのあった自分のアパートの隣に、幸子を住まわせ、面倒を見ることにしたのだと言う。
 すべてを話し終えた幸子は、改めて香織にこれまで秘密にしてきたことを詫びた。その上で
「私が千葉さんの本当のパートナーになるためには、千葉さんに認めてもらえるだけの実力を身に付けなくちゃだめだと思ったの。初心者だから、時間がないから、なんて理由で、ただ横に立っているだけのパートナーになりたくなかった。だから・・・」自分の身の上については伏せて、ソフトテニスの練習に集中したかったのだと言った。
 そして、すべての疑問が氷解した香織がアパートの玄関先でさようならを口にしようとしたとき、幸子がそっと囁いた言葉に香織は顔を真っ赤にして階段を駆け下りることになった。
「大丈夫。賢ちゃんは私にとっては叔父さんだから。心配しないで。」
 
更新日時:
2011/08/28

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Last updated:2017/4/4