小説『ソフテ!!』

 ★二人の少女が出会い、そして青春が加速する!
   6  嫉 妬
 翌日から、さらに練習は厳しさを増していった。香織はひたすら、ボールを追って右へ左へと走り回った。
「あきらめるな!お前があきらめた時点で新人戦は終わるぞ!」
藤原の言葉が香織の心に刻まれていく。たとえ、パートナーが初心者でもそれを理由に負けてもいいなんて思わない。いや、幸子のせいで試合に負けたなんて、幸子に思わせたくない。だから、このボールを私はあきらめない。絶対に。香織の中にそんな思いが育まれていった。何より香織にそう思わせたのは、他でもない幸子のテニスに打ち込むひたむきな姿だった。
 幸子の練習もさらに激しくなっていた。
「白鳥!ソフトテニスでは、前衛のお前がポイントゲッターだ!初心者だろうが、何だろうが関係ない。目の前に飛んできたボールは、確実に相手コートの死角に落とすんだ!」
眼前にラケットを固定して持つ幸子に向かって、藤原は全力でボールを打ち込む。ボレー練習の基本だが、これほどまでに強烈なショットを初心者に向かって打つなど、ありえない。ところが、幸子は悲鳴をあげて逃げ出すどころか、目を見開いてボールに挑んでいく。
経験の差こそあれ、練習中の香織と幸子は間違いなく好敵手になりつつあった。
 
 新人戦まであと一週間にせまった頃、香織の疲労はピークに達していた。いつもの藤原なら試合前のこの時期は、練習を短時間で切り上げしまう。疲労を回復させ、試合当日をベストの体調で向かえるためだ。しかし今回はそうしない。理由は明確だ。幸子の技術が間に合わないのだ。そんな自分に妥協することを、幸子自身が許さなかった。そして藤原も香織も信じていた。幸子がもっと力を付け、強くなることを。だからパートナーとして香織も精一杯コートを駆け回る。
 今日も足が動かなくなるほど振り回され、やっとコートから解放された香織は、フェンスにもたれかかって腰を降ろし、しばしの休息をとっていた。幸子が入れ替わりにコートに入ると、ボレー練習が始まった。その様子をぼんやり眺めている香織の背後で、ガシャンとフェンスを鳴らす音が聞こえた。振り返ると白幡章がフェンス越しに香織を見下ろしていた。剣道着姿だから練習が休憩に入ったのだろう。
「よう。元気か?」にんまりとした笑みを章が浮かべる。
「元気よ。見れば分かるでしょ?」
香織は目一杯の意地を張って見せる。
「はははっ、確かに元気そうだ。あのときの香織に比べたら、100倍元気だ。」
章の言うあの頃とは、あの夏、たった一人でコートに水まきをしていた頃の香織のことだ。
うん、と素直にうなずきながら、香織は幸子というパートナーを得られたことが、どんなに今の自分を生かしてくれているのか、改めて感じた。
「しかし」章がコートの幸子を見やった。
「驚いたな。ついこの間テニスを始めたヤツが、あの藤原のボールを返してる。あれ、全力で打ってんじゃねえか?」
「うん。先生も私も、もう白鳥さんを初心者だなんて思ってないから。」
「ふうん。良かったじゃん。新人戦、一回ぐらい勝てるかもしれないじゃんか。」
何気ない章のその言葉に、香織はかみついた。
「冗談じゃないわよ。一回どころか、全部勝って優勝するんだから!」
誇張などではない。香織は本気でそう思うようになっていた。新人戦はどこの学校もデビュー戦になる選手が多い。その中にあって、中総体の地区大会を制覇したメンバーの一員である香織のレシーブ力は、突出しているはずだ。自分が拾い続ければ幸子が何とかしてくれる。今はそれを信じることができた。
「ごめんごめん。ちょっと口がすべっただけ・・・。あっ!」
謝りかけた章が突然コートの方を指差して驚きの声を上げた。香織はその指先を視線で追う。そこにはコートの真ん中で倒れている幸子の姿があった。藤原はまさに駆け寄ろうしているところだ。香織は慌てて立ち上がると、幸子のもとに走った。
(ボールがぶつかった!?)
藤原のボールを顔面に受けてしまったのか?目だったら最悪だ。しかし、幸子の側にすがりついて、すぐにそうではないことが分かった。ハーフパンツをはいている幸子の真っ白い太ももから、真っ赤な血が流れ出ていたのである。香織は自分が肩にかけていたタオルを幸子の腰に広げて覆うと、幸子の顔を心配そうにのぞき込む藤原に言った。
「先生!ちょっと、あっちに行ってください!」
「あっちって、お前・・・」
こんなにうろたえている藤原は初めて見たと思いながら、香織は語気を強めた。
「いいから!ベンチに座っててください!」
香織の取った行動から、何かを察したのだろう。藤原は
「わかった。保健室に連れて行ってやれ。あとで様子を見に行くから。」
それだけ言うと、きびすを返してボール拾いを始めた。香織は幸子に小さな声で話し掛ける。
「大丈夫?」
横になったまま、幸子がかすかにこたえた。
「大丈夫。急にはじまっちゃて。・・・ごめんなさい。」
香織は小さく首を横に振ると、幸子の額の汗を指先で拭った。そこへ章が呼んできたのだろう、保健室のおばちゃんと呼ばれて親しまれている中年の養護教諭が駆けつけて、二人は保健室へと向かった。
 
 「貧血ね。それから、疲れすぎだわ。こんな細っこい体して。ちゃんと食べてる?」すべての処置を終えた後、ベッドに横たわる幸子に向かって、おばちゃんのお小言が始まった。しかし、体型と同じほんわかしたオーラから発せられる言葉は、どこか暖かい。香織は幸子の脇に腰掛けて、そっと話し掛ける。
「白鳥さん、藤原先生が怖かったから言い出せなかったの?体調、悪かったんでしょう。」
ううん。と、幸子は枕の上で小さく首を振る。
「そんなんじゃないの。心配かけてごめんなさい。」
すると突然、保健室のドアがどんどんとノックされた。「はあ〜い」と応えるおばちゃんの返事を待って、藤原がぬっと入ってきた。手には幸子のものだろう、バックやらラケットを持っている。
おばちゃんに「どうもお世話になりました。」と頭を下げたあと、幸子に向かって声を掛けた。
「どうだ?大丈夫か?」
「すみません。大丈夫です。」と起き上がろうとする幸子を、保健室中のみんなが打ち合わせたかのように、制した。
「無理だ。落ち着くまで寝てろ。このままでは帰せんからな。」さすがの藤原も心配そうだ。そして、今度は香織に顔を向けた。
「香織。お前はもう遅いから帰れ。」
「でも・・・。」
香織は濡れタオルで幸子の額を拭いながら、藤原を見上げる。
「白鳥は、とりあえず俺が車で送っていく。だから心配するな。」
(えっ?先生が車で?!)香織は心の中で驚きの声を上げた。藤原が生徒を自分の車に乗せたという話は聞いたことがなかったからだ。香織自身はもちろんテニス部の先輩たちも足をくじいたり、熱射病で倒れたりすることは幾度かあった。その度に藤原は心配はしてくれるものの、保護者を呼んで事情を説明した上で家に帰したり、病院に行くように話したりするのが常だった。それを保護者も呼ばずに、藤原自身が送っていくと言う。香織はその疑問を口にしようとしたが、それを思いとどまった。そんな場合じゃない。今は具合の悪い幸子を少しでも休ませてあげなければならないのだ。自分が余計なことを話して妙な気遣いをさせるようなことがあってはならない。
「わかりました。帰ります。」
香織は固い表情のまま立ち上がると、やっと作り上げたぎこちない笑顔を幸子に向け
「じゃあ、ゆっくり休んでね。さよなら。」
小さく手を振って保健室のドアを開け外に出た。ドアを閉める間際、ベッドの中から幸子が精一杯の笑顔を見せてくれたが、藤原は背を向けたまま振り向きもしなかった。
 
 自転車置き場に向かって歩きながら、香織は自分の胸の中に、あのわだかまりが急速に膨れあがっていくことに苦しんでいた。強くなりたいと願い一心に練習に取り組む幸子の姿と、それに応えようとする藤原の情熱を信じていた。だから幸子と藤原の間にある「何か」から目を背け、香織は精一杯練習に取り組んできたのだ。しかし、もう押さえきれない。香織は自分の中にあるわだかまりの正体に気付いてしまった。いや、もうとっくに知っていたのかもしれない。でも、認めたくなかったのだ。それは、暗くて醜い「嫉妬」という感情。幸子の運動能力に対するものなどへではなく、それはまっすぐ、藤原に向けられていた。
(なんで。なぜなの・・・?)
心を激しく乱したまま自転車置き場にたどり着いたとき、香織はある決心をしていた。
 
 
更新日時:
2011/08/28

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Last updated:2017/4/4