小説『ソフテ!!』

 ★二人の少女が出会い、そして青春が加速する!
   5  特訓!!
 幸子が練習に加わって、一週間が過ぎようとしていた。香織の目から見ても、幸子はどんどん練習にのめり込んでいるようだった。朝はもちろん、昼のちょっとした時間も惜しんでラケットを振り続けている。香織もたいがい練習好きだと先輩たちに言われてきたが、幸子のそれは「好き」を超えているようにさえ思えた。修行僧が一心に滝に打たれるような、そんな必死さが感じられるのだった。
 一方で、香織と幸子の関係は依然として、変わりばえのしないものだった。香織は水飲み場での会話以来、すっかり臆病になってしまって話し掛けるきっかけを見失っていたし、幸子の目は常にボールに向けられていた。練習内容も初日のメニューがそのまま継続されていたので、香織と幸子には接点がほとんどなかった。香織は重りを両手足に巻き付けて、校舎のまわりを走り続け、幸子は藤原がつきっきりで、サーブとレシーブの練習を繰り返していた。香織はコートを離れているから、二人がどんな会話をしながら、どんな距離をもって練習しているのか、見ることはできない。時折、香織の胸の中のもやもやが頭をもたげることがあったが、幸子のテニスへの傾倒ぶりを思い、それを押し殺していた。
 
 そして、地区の新人戦2週間前。いつも通り、パワーアンクルを身に付けようとしている香織のところに藤原が現れて
「それはもう付けなくていい。今日から、ラケットを持ってコートに入れ。」
と指示した。
「やったー」
香織は大喜びで、ケースからラケットを取り出すと久しぶりのグリップをぎゅっと握り込んだ。これまでラケットを持つことさえ、禁じられていたのだ。試合を目前に、早くラケットでボールを打ちたい、そんな渇望を押さえきれずにいた時だったから、喜びはひとしおだ。軽くテイクバックしてラケットを一振りしてみる。
(あれ?)
もう一振り。
(やっぱり・・・。なんか変だ。軽い。)ラケットが、いや、それを持つ腕が軽く感じられる。ラケットが簡単に振り抜けるのだ。頼りないほどに。香織は側にいた藤原に向かって、その戸惑いを口にした。
「先生。なんか変。ラケットがむちゃくちゃ軽いんですけど。」
藤原は苦笑しながら、こともなげに言った。
「当たり前だ。両手足から、1600gの重りがなくなっているんだからな。そりゃ、軽くて違和感があるだろ。」
なるほど、と香織は思った。これなら以前より強くて速いボールを打てるかもしれない。香織は思わずにんまりしてしまう。調子に乗ってぶんぶんぶんぶん香織がラケットを振っていると、藤原が厳しい口調で言った。
「柔軟はもう終わってるな。振り回しをするから、コートに入れ。」
「はい!」
久しぶりにボールが打てるうれしさで、声にも元気が溢れた。ネットを挟んで向かいあいながら、藤原が叫んだ。
「ボールは、俺の足下に集めろ!それから、バックハンドは一切使うな!」
その指示に驚いて、香織は聞き返した。
「えっ?それじゃ、左サイドにはボールが来ないんですか?」
「違う!左サイドのボールも回り込んで、フォアハンドで強く打ち返してこい。」
「そんな・・・」ことできません、などと言うことは通じないので、仕方なく口を閉ざした。代わりに「お願いします!」と気勢を上げる。藤原には何か考えがあるのだろう。そう信じるしかない。
 初球は右サイドのコーナーへ飛んできた。香織は瞬時に身体を反応させる。軽い。やはり、練習の成果はあったのだ。ボールがバウンドする前にコーナーにたどり着き、余裕を持ってボールを迎え、打ち返す。ところがボールは相手コートのサイドラインを大きく超えてアウトになってしまった。ラケットを振り出すタイミングが早すぎたのだ。
「あれ〜?」
思わず今打ち損じたラケットを見つめながら、声を上げる香織に向かって藤原の怒声が飛んできた。「馬鹿たれ!筋力が強くなっているんだから、いい気になって振り回すな!タッチを、感触を確かめながら打ち込むんだ。」
「はい!」
それから、20球ほどはすべて、右サイドにボールが飛んできた。香織にフォアハンドのタイミングを確かめさせるために、あえて藤原がボールを集めていることは明確だ。やがて、香織の感触も確かなものになって、回転の少ないフラットボールを、藤原の足下に打ち込めるようになった。
「ようし!」
藤原のかけ声を合図に、そこから本当の「振り回し」が始まった。右コーナーのボールを跳ね返したかと思ったら、左サイドへとボールが飛んできた。香織は必死にボールが飛んでいくその先に向かって走る。しかし、回り込もうとしたところで、ボールはワンバウンドし、こともあろうか香織の身体にぶつかってしまった。間に合わなかったのだ。バックハンドであれば、余力を残して打ち返えせたはずなのに。息を切らしながら、香織は座り込んでしまった。乾いたコートに、汗が落ちていくのを見ながら、藤原の怒声を覚悟していた。ところが、予想に反してそれは飛んでこなかった。代わりに、「ほう!」と感心したかのような声が耳に届いた。しゃがんだまま、藤原の方を振り返ると、ラケットを右肩に担いだ藤原がネットの側まで寄って来て、香織を見下ろしながら言った。
「いや〜、こんなに効果があるとは思わなかったな。」
「えっ?」
息を弾ませたまま、香織は戸惑いの声を上げる。何のことを言っているのか。
「気づいてないのか?以前のお前だったら、バックハンドでも触るのがやっとのコースだ。今のボールは。」
確かに、今、香織が打ち返せなかったボールは、左サイドライン上にバウンドし、大きくコートの外へ切れていこうとしていたボールだった。本当ならエース(ラケットで触れることさえできない状態)を取られていたかもしれない。
「まあ、俺のミスショットだったんだけどな。まさか、あそこまで追いつくとは思わなかったよ。」一人で、ふんふんうなずきながら悦に入っている藤原を見上げながら、
(ちょっと!効果が定かでないのに、か弱い私にあんなものを2週間も巻き付けさせていたっていうの?)と香織は怒りがこみ上げてきた。しかし、怒る気力はあってもかなわないのが分かっているので、泣く泣く唇を噛みしめる。
「よし。香織は休憩して水分を補給しておけ。」
そして藤原は後ろを振り返り、一人、壁打ちを続けていた幸子に向かって
「お〜い、白鳥!コートに入れ!」
そう叫ぶと、香織から離れていった。1回戦で敗れたとはいえ中総体では県大会まで行った香織と、初心者の幸子を交互にコートに入れて練習させる。実に理にかなった合理的なやり方だ。それは理解できる。頭では。しかし、やっとボールを出してもらえるようになって、大喜びしていた香織は、途中で投げ捨てられたような思いだった。のそのそとコートを出て水飲み場に向かう香織の横を、しなやかな姿態の幸子が軽やかにコートへ向かう。香織は惨めな気分を感じずにはいられなかった。
 水道の水で口をすすぎ、のどを潤した香織は、タオルを頭にかぶって汗を拭いながらコートに戻った。コートでは幸子のサーブ練習が始まろうとしているところだった。例の赤いリボンがネットの上に張られている。気のせいか、以前よりその間隔は狭くなっているように見えた。香織はコート脇に腰を降ろして、幸子の練習を見ることにした。自分がコートを離れて、走ってばかりいた間、パートナーはどれほど成長したのだろうか。
「ようし。まず、ドライブだ。」
「はい!」
藤原の指示に凛とした声で幸子がこたえる。学級ではおとなしく静かなイメージが定着しつつある幸子であったが、コートに立つと、きりりとした印象に変わる。
(どっちが本当のあなたなの?)と香織は問いたいが、それを口にする勇気などあろうはずもなかった。
 幸子がゆっくりテイクバックを取る。そして次の瞬間、ラケットを持つ幸子の右腕は、右下方からすり上げるようにボールを打ち出すと、左肩に巻き付けられた。
(・・・・・!)香織は思わず息をのむ。
ボールはきれいな順回転がかけられ、ネットとリボンの間隙を抜けると、そこを頂点として、あっという間にサービスエリアに着地し大きく跳ね上がった。
「すごい・・・」
香織は無意識にそうつぶやいていた。コントロールしやすいアンダーハンドからのドライブサーブとはいえ、初心者がたった2週間やそこらで打てるサーブではない。幸子が打ち込んだボールは、香織の心の中に驚きの波紋を起こし、それは様々な感情に形を変えて、広がり続けた。香織はそれらの感情の中に、焦げ臭い匂いをともなった、「嫉妬」が含まれていることに気付かずにはいられなかった。
(甘かった。私は、ソフトテニスでは、常に自分が上にいるとたかをくくっていた。)
優しい先輩たちに囲まれ、チーム内にライバルなどいなかった香織にとって初めて生まれた感情だった。
(変だ。私。こんな気持ちになるなんて。)
本来なら、パートナーの予想外の成長は喜ばしいことだ。個人戦のトーナメントを一つでも多く勝ち上がれる可能性が高くなったのだから。それなのに。
 香織の中に渦巻く様々な感情をよそに、幸子は右サイドと左サイド、交互に10本のサーブを打ち込み、7本をサービスエリアにきめた。藤原から、新しい指示が出た。
「次、フラット!」
(えっ?)香織は再び驚きの声を上げた。ソフトテニスは素人だと自ら語る藤原は、練習の方法に独特なものを取り入れていることが多い。ネットの上にリボンを張るなんてこともそうだ。ゆえに、練習法も藤原独自の呼び名でよんでおり、徳倉中学校テニス部ではそれがまかり通っている。ここで藤原が言う「フラット」とは「回転をかけないボール」を指している。香織が早くて強いレシーブやオーバーハンドからのサーブを打ち込みたいときに使っているボールが「フラット」だ。しかし、アンダーハンドからのサーブを「フラット」で打ち込むことなど、香織も引退していった先輩たちもやったことがない。アンダーハンドからは強く打ち込むことが難しい上に、「フラット」は回転がないために、風に弱くコントロールが難しいのだ。
 しかし、幸子はあたりまえのように「はい!」と返事をすると、かごから新しいボールを拾い上げた。左手にボール捧げ持つと、長身を折りたたむように体勢を低くした。幸子の周囲に先ほどより濃い緊張感が広がっていくようだった。ラケットを右後方へ真っ直ぐ引っ張ってテイクバックすると、そっと押し出すようにボールを叩いた。
「ポン」
という軽い音を立てて、ボールは静かに飛んでいき、ネットとリボンの間を頂点とする、なだらかな放物線を描くと、また
「ポン」
という軽い音を立てて、サービスエリアに着地した。そして、小さくバウンドしてころころ転がっていく。
「よし!」
藤原が大きくうなずきながら、声をかけた。幸子の顔から一瞬、ふっと緊張が解ける。それほど難しいサーブを決めたということだろう。香織には今のサーブを打った幸子の姿が、朝や昼、ひたすら壁打ちをしている姿に重なって見えた。
(そうだ。あのタッチだ。)
ボールに回転をかけないためには、そっと押し出すような打ち方が必要になってくる。しかし、ちょっと力加減を間違えれば、ボールはリボンとネットの間を通るどころか、ネットにかかったり、サービスエリアをオーバーしてしまう。微妙なタッチ(つまりはボールに触れる感触)を身体の中に刻み込まなくてはならない。幸子はこの2週間というもの、タッチを身体に刻み込む作業を淡々とそして確実にやってきたのだ。それは藤原からの指示だったのだろう。しかし、やり遂げたのはまぎれもなく幸子だ。
 フラットサーブも左右10本を幸子は打ち込んだ。さすがにこちらは難しかったようで5割の成功率にとどまり、幸子は不満げに小さな顔をゆがませたが、藤原は上機嫌のようだった。
「まあ、こんなところか。それじゃ、香織!」
「はい!?」
幸子のサーブに見入っていた香織はびっくりしてすっとんきょうな声を上げた。まさかこのタイミングで呼ばれるとは思っていなかったのだ。
「コートに入れ。白鳥のサーブを受けてみろ!」
藤原の言葉に、はい、と応えてコートには入ったものの、香織は心の準備ができていなかった。ラケットを持つのだって久しぶりなのだ。その上、幸子のサーブに大きく動揺した心は、まだ揺れ続けている。
(落ち着け。落ち着け。あれくらいのサーブ。今までだって簡単に打ち返してきたじゃないか。)
そうだ。幸子のアンダーハンドからのサーブは、本来は確実に決めるため、セカンドサーブに使われるものだ。ポイントを取るための攻撃的なサーブではない。普通にやったら、香織にとれないはずはないのだ。
「準備はいいな。白鳥。ドライブからいけ。」
「はい!」
藤原の声に応じて、幸子が構える。幸子の真剣なまなざしが、手のひらにのったボールと、コートの対角線上で構える香織へ交互に向けられる。
(美人の真剣な顔って怖いよ。)
頭の中は、そんなバカな考えがよぎり、心臓は久しぶりにコートの向こうに相手を認め、バクバク鳴っている。
「はい!」
幸子の声とともに、強烈なドライブのかかったボールが飛んでくる。見事にサービスエリアに入ったそのボールは、香織の予想以上にドライブがかかっており、大きくバウンドして、香織を慌てさせた。(このっ!)
香織は瞬時にラケットを上から叩き降ろすようにしてボールを捕らえ、打ち返した。ボールはスピードにのって飛んでいき、ベースラインのわずか手前で着地し、あっという間にフェンスにぶつかった。ふうっ、とため息をつきながら、(あぶなかったぁ〜。あんなにバウンドするなんて思わなかった。)と心の中でつぶやきながら、香織はコートの後方に移動して構え直した。これなら、大きくバウンドしたボールも、落ち始めたところを強打できる。予想通り、次のサーブからは余裕を持って対処することができた。むしろ慣れてしまえば、まだ厳しいところにコントロールできない幸子のサーブは、単調で打ち頃とも言えた。香織が5球ほど、続けざまに幸子のサーブを強烈なレシーブで返したところで、藤原が指示を出した。
「白鳥。フラットで行け。」
「はい!」
幸子が深呼吸をし、息を整えると、幸子の周囲を張り詰めた空気が覆っていく。しかし、幸子が微妙なタッチで打ち出すフラットサーブの妙は認めるものの、実践であの弱っちいボールがどれほどの効果があるのか。入ってきたサーブを強打されて、リターンエースを取られかねないと思うのだけれど。香織はそんなことを考えながら、少し前に出てサーブを待つ。
「ポーン」
ゆったりしたモーションの中、サーブは打ち出された。緩やかな弧を描いたボールはネットをぎりぎり超えると、すぐにゆっくり落下を始める。香織はボールの落下地点を予測し、素早く移動するとテイクバックしてボールがバウンドするのを待った。
(えっ!?)
香織は心の中で驚きの声を上げた。
(ボールが・・・来ない!上がって来ない。)
バウンドしたボールは、香織が想定していた半分も上がってこなかったのだ。香織は体勢を崩され、何とかボールをラケットに当てたものの、その位置からでは高さが足りなかった。ボールはネットに「パスン」とぶつかって、力なく転がった。
次のサーブは、ネットにこそかけなかったが、強打することができず、すくい上げるようにして緩いボールを返すのが精一杯だった。
(そうか。ネットの高さより低くバウンドするボールなら、レシーバーは強打することなんてできないんだ。)
藤原はおそらく、いや、間違いなくその効果を十分に知った上で、幸子にこのサーブを身に付けさせのだ。ほぼ同じアンダーハンドのモーションから、ドライブサーブとフラットサーブをランダムに打ち分ければ、大きな武器になる。香織は安穏として取り組んでいたこれまでの練習を、深く後悔せずにはいられなかった。自分が必死になって走るすぐ後ろを、ひたひたと幸子が追い上げてくる。そして、その傍らには藤原がぴったりと伴走しているように香織には思えるのだった。
 
 その後、香織と幸子は攻守を交代して、香織のサーブを幸子がレシーブすることになった。幸子のレシーブは、まだ、サーブほどの上達は見られなかった。香織がオーバーハンドから繰り出す強烈なサーブには対応しきれず、空振りしたり、振り遅れたりで、まともにコートへ返すことはできなかった。それでも、香織がセカンドサーブとして使っているアンダーハンドサーブには見事に反応し、香織の足下にドライブのきいたボールを返すことができた。
 練習終了後、藤原は例によって青いベンチにどっかと腰を降ろすと、目の前に香織と幸子二人を並べ、頭をかきながら言った。
「まあ、ラケット持って2週間だからな。こんなもんか。」
(いやいや、とんでもない成長でしょう?)
香織は心の中で大きく首を横に振りながらつぶやいた。香織がテニスを始めたばかりの時は、壁打ちはおろか、素振りだってまともにできなかったはずだ。この2週間、幸子がどれほど濃密な練習を行ってきたか想像に難くない。朝練に香織が来ると大抵は幸子がすでにコートに来ていて、その首筋からは例外なく汗がつたっているのだった。いったい何時から練習を行っているのか?たずねたことはないけれど。そっと隣の幸子を伺い見るが、幸子の視線は藤原に向けられ、藤原の何気ないぼやきにも熱心にうなずきながら聞いている。
「あっ!そう言えば・・・」
と、藤原がベンチの下に置いてあった紙袋から、何やら冊子のようなものを取り出すと、香織に差し出した。よく見るとスポーツメーカーのカタログだった。
「ユニフォーム、どうする?まあ、香織は中総体で使ってたものがあるから、それでもいいけど。白鳥は持ってないからな。」
「ユニフォーム・・・」
そう言えばすっかり忘れていた。徳倉中学校では2年生の新人戦前にユニフォームを新調するのが習わしのようになっていた。しかしテニス部がなくなるかどうかの瀬戸際に立たされていて、それどころではなかったのだ。
(欲しい!)香織の顔に笑みが広がる。自分好みのユニフォームを身につけるのが、ソフトテニス部に入ったときからのひそかな夢だった。でも
(白鳥さんが、欲しいって言わなかったら・・・)自分だけ新調するなんてことはできないような気がした。そもそも、大会には学校指定のジャージで出場してもかまわないのだ。香織は、ふっと隣の幸子に視線を移す。と、以外にも幸子の目は香織の持つカタログに向けられていた。
「これ、見る?」
香織が聞くと、幸子は顔をほころばせコクンとうなずいた。
二人のやりとりを見ていた藤原は
「それじゃ、買うんなら明日までな。もう時間もないから。」
そう言うとミーティングの終了を告げ、二人の「ありがとうございました」を背中に校舎へと戻っていった。残された二人は、早速、地べたにカタログを広げるとページをめくり始める。二人でユニフォームを選ぶ。ただそれだけの共同作業だったが、香織にとってこんなわくわくする気持ちは久しぶりで、うれしかった。このデザインのこの色もいいね、などと香織が話し掛けると幸子がコクンとうなずく。数分間、そんなことを繰り返していたが、幸子があるデザインに目をとめ「これ」とつぶやくように口にして、それを指差した。そして、もう一度はっきり言った。
「これ、このデザインの赤。」
「これって・・・」
天命ヶ丘中学校のユニフォームと同じバージョン。香織たちは「天命中レッド」と呼んで、憧憬のようなものを抱いていた。県大会の初戦で香織たちをこてんぱんにやっつけたチーム。そして、今年の県大会の覇者。そのチームと同じユニフォームを。よりにもよって。これは偶然?
香織が幸子を見ると視線がいきなりぶつかった。幸子は口元に笑みを浮かべながら、小さくうなずく。「ようし。これに決定!」
香織はカタログの上の幸子の指に重ねるように、自分の指を置いて叫んだ。すると幸子も、これまで聞いたことがないような大きな声で
「決定!」
と言った。そして、二人声を合わせてケラケラと笑いあった。初めて二人が一つになったような気がした瞬間だった。
 
更新日時:
2011/08/28

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Last updated:2017/4/4