小説『ソフテ!!』

 ★二人の少女が出会い、そして青春が加速する!
   2  一人のコート
 試合から一週間が過ぎていた。今日も太陽は遠慮なく照りつけ、学校のたった一面しかないテニスコートの土は湿り気を失って、ちょっとした風が吹いただけで砂ぼこりを舞い上がらせていた。
 香織は一人、じょうろで水をまきながらサンバイザーの下から噴き出す汗を拭い、そしてため息をついた。
「おーい!香織!」
聞き慣れた声に振り向くと、フェンス越しに同じクラスの白幡章が立っていた。部活の休憩時間なのだろう。剣道着を身にまとい、首には手ぬぐいを引っかけている。
香織は一瞥しただけで水まきを再開する。
「おい、シカトかよ。そりゃないだろ?」
そう訴える章の声に、香織は水まきの手を止めることなくこたえた。
「こっちは、人手不足で大変なのよ。あんたのひまつぶしなんかにつきあってられないっつーの。」「人手不足も何も、ソフトテニス部は3年生5人が引退しちまってお前一人だけなんだろう。」
その言葉にピクンっと香織の動きが止まり、表情はどんどん硬いものになっていった。それに気付かず、章はへらへらとしゃべり続けた。
「練習もまともにできなけりゃ、試合にだって出られないんだろ。実質、廃部状態じゃ・・・」
その台詞が終わる前に、香織はつかつかと章の前に歩み寄ると、手にしたじょうろをそのまま章に向かって投げつけた。じょうろは章の目の前のフェンスにぶつかり、残った水をしたたか章の頭から胸を濡らして、地面の上にころがった。
「つ、つめてえ!なっ何すんだよ!」
「涼しくてちょうどいいでしょ。」香織はじょうろを拾い上げ、立ち上がると、はじめて章の目をまっすぐに見つめて言った。
「章君さあ、剣道部の新しい部長になったんでしょう?だったら私なんかにかまけてないで、剣道部のこと考えなよ。」
章は手ぬぐいを頭にかぶせると、濡れた髪の毛を両手でぐしゃぐしゃと拭き取りながら、もごもごとはっきりしない口調で言った。
「同じクラスのよしみっつうか、小学ん時に一緒に剣道教室に通っていたよしみっつうか。・・・気になんだよ。香織のこと。」
「・・・・・。」
「だからさ、気が向いたら。剣道部に来いよ。小学生の時、あんだけ強かったんだから、今だって通用するだろ、香織なら・・・。まあ、無理にとは言わんけど。」
香織の怒りモードが、コトンと音を立てておさまった。心配してくれてたんだね。すなおにそう思った。
「ありがと。ごめんね。」
つぶやくように香織が言うと、章はにまっと笑い、
「ああ、おかげで涼しくなった。」
そう言って剣道場に向かって駆けていった。
香織はそれを見送ると、じょうろに新しい水をくむために重い足を引きずって歩き出した。
 
 県大会で敗退した後、キャプテンの高橋亜由美を中心としたソフトテニス部の3年生、5人は引退していった。そして、2年生の香織が一人、残されたのだった。
 ソフトテニスは、二人一組のペアで試合を行う競技だ。団体戦は3ペア6人で戦い、2勝したチームが勝ち上がっていく。個人戦もあるが、硬式テニスのような「シングルス」は中学校のソフトテニスでは行われていないのが現状で、個人戦とはよばれるものの、二人一組のペアとして参加しなければならない。つまり、香織一人だけになってしまった徳倉中学校は、団体戦はもちろん、個人戦にさえエントリーできなくなってしまったのだ。
 そもそもの原因は、折からの少子化で生徒の人数が減少したことだった。徳倉中学校は、全校生徒60人の小規模校で、その中に男子は野球部と剣道部。女子はバスケットボール部と卓球部、そしてソフトテニス部がある。数年前に男子バスケ部が廃部になり、翌年には女子バレーボール部が親の会と学校側でさんざんもめた末、廃部になったという経緯があった。そして、今まさに女子ソフトテニス部が廃部の危機に直面している。そのことが香織の心を重くしているのだった。
 顧問の藤原は何を考えているのだろう。このまま部がつぶれてしまうのを良しとするのだろうか。
そういえばずいぶん前に、香織たちの練習を「お前たちの練習は、練習のための練習だ」と激怒して藤原が言ったことがあった。
「お前たちが勝とうが負けようが、俺の給料は上がりもしなければ下がりもしない。部活動については、まるっきりのボランティアだ。ただ、お前たち6人が試合に勝ちたいと強く思うならば、俺はできるだけのことをしたいと思う。しかし、お前たちがレクリェーションのテニス遊びをしたいならば、話は別だ。ボランティアはお断り。勝手にやってくれ。」
吐き捨てるように、そういった藤原の言葉は生々しい大人の本音を感じさせるものなどではなく、香織たち自身の練習に対する姿勢の甘さを痛感させるものだった。
 ならば今、藤原は何を思っているのだろうか?目の前にいる部員は私一人だけなのだ、と香織は思った。
 
 藤原がコートにやってきたのは、香織がサービス練習の百球目のボールを打ち終え、ボールを一人でかごに集めているときだった。気がついた香織は、先輩たちがいたときと同じように「お願いします!」とあいさつをした。藤原は右手に持ったラケットを上げて、それに応じると、そのままボールを拾いはじめた。
 先輩たちとボール集めをするときはあっという間だった。でも二人では当然時間がかかってしまう。何よりも藤原と二人きりというのは、香織にとって気詰まりだった。
「香織、ちょっと座れ。」
ボールを集め終えると、藤原はコート脇に一つだけある、青いベンチに腰を降ろして香織をよんだ。香織は言われるまま藤原の前に腰を降ろすと、その顔を見上げた。
「率直に聞こう。・・・香織はこれからどうしたい?」
「・・・・・」
返答ができずにいる香織をしばらく見つめたあと、藤原は言葉を続けた。
「3年生がいたときだって香織が誰よりも熱心に練習に取り組んでいたことは、先生はよく知っている。同級生が一人もいない中で、本当によく頑張っていた。」
「・・・はい・・・」
「・・・でもな。部員が香織一人になった今、先生ができることは、すごく限られてくる。二人でできることはせいぜい振り回しや乱打だ。練習試合だって組んでやれない。何より、十月の新人戦にはエントリーできない。」
「・・・・・」
予感はあった。いや、香織は藤原からその話が切り出されるのを待っていた。それでいて、怖かったのだ。と、膝を抱えて座っていた香織の膝小僧を、ぽつり、と濡らすものがあった。香織は自分でも気づかないうちに涙ぐんでいた。涙はあとからあとから溢れ出し、手の甲で拭うそばから新たな涙がこみ上げて来て、香織はもう自分ではコントロールできなくなってしまった。当然、藤原にも香織の泣く姿は見えているはずだが、藤原は淡々と話を続けた。
「実は、剣道部の佐々木先生が香織だったら剣道部に迎えてもいいとおっしゃってくださっている。剣道部には女子部員はいないから団体戦は無理だが、個人戦だったら試合にも出られるからな。」
藤原の声はすでに香織の中で言葉としての意味をなさなくなっていた。そして、香織はもう、こらえることをやめてしまった。声に出して泣きはじめていた。香織自身、なぜ泣いているのかよくわからない。先輩たちと守ってきたソフトテニス部がなくなってしまうことが寂しいのか。自分が一生懸命練習に取り組み、身につけてきたものすべてが無駄になってしまうのが悲しいのか。ただ、脳裏にあるのは、初めてボールを打ったときの楽しさや、試合で勝てたときの喜びだった。もう、味わうことができない、先輩たちとひたすらボールを追いかけた日々の記憶。
「もし、香織にその気があるなら、俺の方から佐々木先生にお願いして、夏休み中に転部できるように・・・」
藤原の言葉をさえぎるように、香織は大きく首を横に振った。そして涙で声を詰まらせながら言った。
「先生は・・・先生は、どうしたいんですか?・・・もう・・・テニスは嫌ですか?」
 藤原の専門が、本来、剣道であることは、徳倉中学校では有名な話だった。3年前に転任してくる以前、藤原は前任校の剣道部を鍛え上げ、男子は県大会ベスト4、女子にいたっては県大会で準優勝させ、東北大会出場へと導いていた。しかし、徳倉中学校に転任してきた当時、すでに剣道部には佐々木という高段者の顧問がいたことから、藤原はなり手のいなかった女子ソフトテニス部の顧問を引き受けたのだと言われていた。
「・・・やっぱり・・・テニスより、剣道をやりたいんですか?」
しゃくり上げながら、やっと言い切った言葉だった。もしかしたら自分は重大な禁忌に触れているのではないか、香織はそう思ったが、もはや言わずにはいられなかった。怒鳴られても、ぶたれてもいい。この一週間、ずうっと胸をふさいでいた重いわだかまりを、今日は放り投げてしまいたかった。しかし、藤原は押し黙ったまま、手にしたラケットをクルクルと回しながら、足下を見つめている。まさかラケットでぶたれるなんてことはないよね。そう思いながら、香織はあふれ出る涙を手の甲で拭って、返答を待った。
「・・・香織は、テニスが好きか?」
藤原がつぶやくように言った。思ってもいなかった言葉だった。香織は声にならない声を発しながら、大きくうなずいた。
「・・・そうか。」
そう言うと藤原は立ち上がり、ボールを数個、かごから拾い上げるとズボンのポケットに詰め込んだ。
「乱打するぞ。コートに入れ。」
藤原のその言葉にはじかれるように、香織は右手で顔を拭い続けながら、左手でラケットをつかむとコートへと走った。これが藤原の答えなのだろうか。今は、はっきりわからなくてもいい。香織はそう思った。
 
更新日時:
2011/08/28

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Last updated:2017/4/4