Last updated:2018/7/4
『まほろばの項』

過去・現在・未来からこぼれ逝く言葉の雫

 23    キャンパス・イリュージョン6『ウミンチュの見る雪』
 大学の4年生の春だった。臨床心理学を専攻する先生のゼミで卒業論文に取り組もうと考えていた僕の前に一人の女の子が現れた。入学したての目の大きなかわいい女の子。そこらの女子大生のように化粧にまみれていないあどけなさが、逆に僕を引きつけたのだ(う〜ん。なんか、こんな事ばっかり書いているといかにも僕がほれっぽい男のようだけれど・・・まあ、男なんてそんなもんでしょう)。
 いわゆる新歓ゼミの飲み会で彼女に出会ったのだけれど、こと女性の扱いについては相変わらず不慣れだったので、一言二言話すのが精一杯・・・。
 しかし、この飲み会がきっかけとなってキャンパス内や学食で出会うと、笑顔で「コンニチハ」という言葉をかけてもらえるようになった。それだけで、喜んでしまう僕は、なんか「飼い主に撫でてもらって、尻尾振っている犬」みたい。でもまあ、実際のところうれしかったのだからしようがない。
 そんなこんなであっという間に時は流れていく。少しは彼女に近づく努力をすればよいものを、僕はそれもできずにいた。そしてとうとう11月。卒業はもう目の前。
僕は思いきってついに行動に出た。
 当時、卒業論文の作成のために何人かの友人に被験者になってもらい、いわゆる「心理学的実験」をやっていたのだが、その被験者を彼女に依頼したのだ。
「私がですか?」
唐突な申し出に驚いて大きな目をさらに丸くした彼女だったが、すぐにいつもの笑顔を浮かべ、「いいですよ」と快諾してくれた。心の中で小躍りしながら
(よっしゃ!あとで「お礼に」とかなんとかいって、映画にでも・・・)
とまた一人妄想に突入・・・。まあ、とにかく彼女と十数分の間だけ、小さな実験室で二人きりになれる時間を確保できただけでも、当時の僕には奇跡的なことのように思えたのだ。
 そして実験当日。その日は朝から肌寒かったので、僕は小さな石油ストーブに灯をともし、彼女を迎え入れた。
「今日は寒いねぇ」なんて、気の利かない言葉から実験は始まった。いくつかの質問紙法と投影法による心理テスト。それからVTRを見て、その内容について感じたことを話してもらう、というごく簡単な実験。彼女は肩できれいに切りそろえたまっすぐな髪がときおり顔にかかるのを、その白い小さな手で襟元に返しながら、真剣に取り組んでくれた。
 やがて実験終了。
(よし、今だ。映画に・・・)
ところが言葉が喉元から先に出てこない。と、僕がまごまごしているうちに彼女が立ち上がってしまった。ああ、帰っちゃう。そう思ったとき彼女は、振り返ると、実験室の窓に手をかけ、それを大きく開け放った。
「先輩。もう実験終わりでしょ。空気の入れ換え・・・」
そこまで言った彼女の言葉がとぎれた。
「・・・・・?」
彼女は窓の外の何かを一心に見つめている。そしてその視線はゆったりと上に向けられていった。
僕は静かに彼女の傍らに歩み寄った。
 ・・・雪が降っていた。その年初めての雪が、大粒の結晶となって静寂の中に舞い降りているようだった。
「・・・先輩。知ってました?沖縄には雪が降らないんですよ。」
突然僕をの方を振り返った彼女の言葉に僕はとまどった。
「・・・そういえば・・・そんなこと聞いたことがある。あっちは亜熱帯気候だろうからね。」
「・・・はい・・・私、沖縄からこの春、こっちに出てきたんです。だから、雪を見るのは、ホント、はじめて何ですよ」
彼女の顔はいつもにも増して美しい笑みをほころばせ、心なしかその声が弾んでいる。
 彼女は、再び顔を窓外に向けると遠く白い空を見上げ、舞い降りてくる雪を心の中にしみ込ませているようだった。
子供が夜空を彩る花火を見上げるようなその、何のてらいもない無垢な表情に僕は心を奪われた。
(いい子だな、この子・・・本当に・・・)
僕が改めてそう思ったとき彼女が、永遠の空を振り仰いだままつぶやくように言った。
「・・・先輩。雪ってきれいですね。まるで小さな綿毛が、天国から舞い降りてくるみたい。」
「・・・・・」
すべての人々が持って生まれ、年を重ねるたびに「すり減らしてなくしてしまう何か」を、彼女は少しも摩耗させることなく持っているように僕には思えた。
 そんな彼女に僕は準備していたものとは全く異なる言葉をかけた。
「実験終了!・・・今日は本当にありがとう。おかげで助かったよ。」
「いいえ。」と彼女は微笑む。
「初雪ってヤツはすぐやんじゃうから、見ているだけじゃなくて、その手や、頬で感じてきた方がいい。なんたって、君の初体験だからね。外でこの景色を感じておいで。」
「・・・はい!」
彼女はそう応えると、ぴょこんと頭を下げ部屋を飛び出していった・・・。
 
 たったそれだけのお話。・・・しかし、あれから十数年を過ぎた今でも、毎年初雪のニュースを聞くたびに彼女のことを思い出す。穏やかな笑みを浮かべ、永遠の空から落ちてくる綿毛を見つめる彼女。
 今頃どこでどうしているだろうか。彼女の今暮らしているところでは「雪」を見ることができるのだろうか・・・?



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