Last updated:2002/6/27

『セカンド・バレンタイン』

『セカンズ』三部作エピソード1

 
 
『あの時』を取り戻せたら・・・。

 9   最終章 『セカンド・バレンタイン』
更新日時:
2002/06/27 
  そして夜、その電話は突然かかってきた。そのとき靖は,黙々と夕食を口に詰め込み、また布団にもぐりこんでいた。遠くから、母親の呼ぶ声が聞こえた。
「靖!靖!電話だよ!」
その声に布団を這い出した靖が、それとなく時計を見ると、針は八時を廻っていた。
(どうせ、和弘が由香にチョコレートをもらって、舞い上がっているんだろう。)
そんな自慢話など聞きたくなかったが,靖はしぶしぶ起きあがると、置いてあった受話器を取った。
「もしもし・・・。」
めんどくさそうに話す靖の耳に、聞き覚えのある女の子の声が聞こえてきた。
「もしもし、靖先輩?」
菅原由香の声だった。
「・・・!」
靖は、思いもかけないことに一瞬言葉を失った。電話の向こうでは、由香がもう一度呼びかけている。
「もしもし?靖先輩ですか?」
「あっ、ああ・・・。」やっと口が動いた。
「由香です。剣道部の二年の菅原由香です。わかりますか?」
「うん。・・・わかるよ。」靖は自分の声が震えているのを感じた。
「すいません。こんなに夜遅く・・・。もっと早くかければ良かったんですけど・・・。」
電話の向こうの由香の声も緊張で震えているように感じられる。
靖は,今日の三浦茜への態度を、責められるんだろう、と思った。
「・・・今日,三浦には、悪い事をしてしまったな。」
「いえ・・・。」
「でも、他に好きな人がいるのに、あれを受け取ったら、かえって彼女に失礼だと思ったんだ。菅原からも、三浦に、俺が謝っていたって言っておいてくれないか。」
「・・・わかりました。」
「それじゃ・・・。」
受話器を置こうとした靖の耳に、
「違うんです!待ってください!」と、叫ぶ由香の声が聞こえた。
いぶかしみながら,再び受話器を耳に当てる。
「どうしたの?」
「違うんです。茜ちゃんの事で、電話したんじゃないんです。」
「えっ?」
「大事な・・・大事な話があるんです。直接会って話したいんですけど・・・。いいですか?」
由香の声には何か切迫しているような緊張感が感じられた。
「いいけど。それじゃ、明日・・・。」
と、靖が言いかけると由香はそれをさえぎった。
「だめなんです。今日じゃないと、・・・今,会って話したいんです。お願いします。」「しかし、もう八時を過ぎてるぞ。俺はいいけど,君が困るんじゃないか?」
「・・・私,今、先輩の家の近くの電話ボックスから電話しているんです。」
「えっ・・・?」
靖の家のはす向かいに、酒屋がありそこに電話ボックスがあった。(あそこか。)と、靖は見当をつけた。
「お願いします。」震える声で、由香は繰り返す。
「わかった。すぐ行く。」
靖は、早口でそう言うと、受話器を置き、ジャンパーを引っつかんで飛び出した。
 
 外に出ると,大粒の雪が舞い降りていた。(寒い!)靖は,ジャンパーを着こみながら数十メートル先の電話ボックスの明かりを目指して走った。
ほのかな灯りの中に小さな人影が、身を縮めているのが見えた。
(由香!)なんで、こんな寒空に・・・。靖の胸に、痛々しさと愛しさがあふれてくる。
靖は息せきって、ボックスの扉を開けた。
「すいません・・・。」
そう言って、うなだれる由香の体は、その全身が寒さでかじかんでいるように思えた。
靖は右手を伸ばし,そっと由香の頬に触れた。
「冷たい。いったい、いつからここにいたんだ?」
「一時間くらい・・・前からです。」
弱々しい声で、こたえる由香。その目には涙を流したあとがあった。
(とにかく、どこかで暖を取らなければ・・・。)
靖は、懸命に考えたが,この田舎町に、しかも明らかに中学生とわかる二人を受け入れてくれるような場所は、思いつかなかった。
(仕方ない。)
靖は、ボックスに由香を残したまま、酒屋の前にあった自動販売機にかけ寄った。ジャンパーのポケットから小銭を引っつかむと、温かいレモンティーを二本買う。そのうち、一本を由香に手渡すと,靖は自分が身につけたばかりのジャンパーを、由香の体に引っ掛けさせた。
「すいません。」
レモンティーで手を温める由香。靖は,その背中を押すと,電話ボックスを出た。
「どこへ行くんですか?」
「このままじゃ、風邪を引いてしまう。俺の部屋に行こう。」
「いいんですか?迷惑なんじゃ・・・」
上目遣いに、濡れた目で由香が尋ねる。
「君が,このまま、自分の家に帰るのが一番いいんだけどな。本当は。」
「・・・・・。」
「どうする?」
「つれてってください。・・・先輩の部屋、見てみたい。」
そう言うと,由香はフフフッと、笑った。少しだけ元気を取り戻したようだ。
「そのかわり,俺の部屋の窓から入ってもらう。大きな声で笑ったりするなよ。こんな時間に女の子を部屋に連れ込んだなんて、親に知れたら大変な事になる。」
「はい・・・。」
申し訳なさそうに、由香は小さく答えた。
靖は,自分が大胆な行動に出ていることに、驚いていた。しかし、二十五歳の自分なら、やはりこうするだろう。十五歳の自分には考えも及ばない事だが。
 
 まず、靖が玄関から、それとなく気づかれないように家に入った。テレビの音で、両親は靖の行動に気づく気配がない。靖は自分の部屋に入ると、その窓を大きく開ける。そこには、由香が,迷子の子犬のようにたたずんでいた。
「両手を出して。」
靖は、由香の両手をつかみとり、ゆっくりと引き上げた。
「ドスン!」
由香が、窓わくから転げ落ちるように、大きく尻餅をついてしまった。
「いたあ〜い・・・。」
声を上げる由香の口を靖は慌てて押さえる。数秒間そのまま。と、由香が息苦しそうに、うめき出した。靖はやっと手を離す。
「ふうっ・・・もう、先輩。私を殺す気ですか?」
頬を膨らませて、由香がにらみつける。靖は、その顔を見て、おかしさのあまり思わずぷっと吹き出してしまった。
「何がおかしいんですか?私が死んだら、大変ですよ。これでも、けっこうファンがいるんですから・・・。」
「ははははっ、ごめんごめん。いつも澄ました顔の君しか見たことなかったから・・・。でも・・・。」
「でも・・・?でも、なんですか?」
「うん・・・。ファンがいっぱいいるって言うのは,わかるよ。」
靖は,由香から視線をそらして,だんだん小さくなる声で言った。靖が,視線を由香に戻すと、由香は、はにかむように顔を赤らめていた。
「まあ、冷めないうちに、それ、飲んじゃえよ。」
靖は、話題を変えようと、そんな事を口にした。
「・・・はい。」
小さな声でこたえると、由香は大事そうに抱えていた缶のふたを開け、その中身を口に含んだ。靖も、自分のを取り出して,それをぐいっと飲み込む。
しばらくの沈黙。
なんとなく、お互い照れくさかった。
靖は、部屋のすみにあった電気ストーブのスイッチを入れると、部屋の中央まで運び、二人でそれを囲むように腰を下ろした。
「ところで菅原、君の家、大丈夫なのか?親が心配してるんじゃ・・・。」
「今日,私,茜ちゃんちに泊まりに行く事になってるんです。」と、由香は上目遣いに、靖をにらみながら、言った。
「誰かさんが、茜ちゃんを泣かせちゃったから。」
その言葉は靖を狼狽させた。
「だから、さっき謝ったじゃないか・・・。なんだ、結局、話っていうのはそう言う事なのか。」
由香は、まだ、じっと靖をにらみつづけている。いや、「にらむ」が、「見つめる」という趣に変わっていた。
「まさか、これから、三浦の家まで謝りにつれて行こうって言うんじゃないだろうな。勘弁してくれよ。」
由香は小さく首を横に振った。
「そんなんじゃありません。」
由香は、ちょっと考えるように一度靖から視線をはずしたあと、もう一度その凛とした、まなざしで靖を見つめると言った。
「今日の先輩、変です。」
「はあっ?」
唐突で奇妙なその言葉と、それを発した由香の整った顔が、あまりに不似合いだったので、靖は面食らった。
「菅原,俺のこと、馬鹿にしてんのか?」
「違います。」
由香は,言下に否定した。
「私の知っていた、平成三年の二月十四日の先輩の行動と、今日の先輩の行動が、正反対だったんです。」
「・・・!」
靖は驚きのあまり,言葉が出ない。由香は続けた。
「本当だったら,先輩は、今日のあの場面で、茜ちゃんから、『ありがとう』って、『うれしそう』にチョコレートを受け取っているはずなんです。」
由香は故意に「ありがとう」と「うれしそう」という言葉を強調した。
靖は,一瞬,頭の中が真っ白になった。由香の話をどう解釈したら良いのか、わからない。「そうでしょう?」
問い詰めるように、少し震える声で、由香は言った。
靖は、缶に残っていた中身を一気に飲み干すと、立ちあがり、ベットの上に腰を下ろした。
しばらく考えたあと,靖はやっと口を開いた。
「菅原。もしかして君も、あの日・・・。」
靖のほうを振り向きながら、由香は答えた。
「・・・そうです。あの二月二日の日。保健室のベットで私も目を覚ましたんです。」
「・・・・・。」
「保健室に吉田先生がいて、『ついさっきまで、隣で、三上君も寝てたのよ』って言うので、もしかしたら先輩も、私と同じ体験をしているんじゃないかなって・・・。」
「そうか。あの時、隣のベットに寝ていたのは、君だったんだ。」
「はい。」
しばらくの間,沈黙が流れた。茶の間からテレビの音がもれて聞こえてくる。由香は、手にしていた缶の中身をゆっくり口に入れた。
「わかった・・・。お互いの、これまでの経緯をたどってみよう。そうすれば何かわかってくるかもしれない。」
由香は、靖をまっすぐ見つめ、大きくうなずいた。
「それじゃ、まず、俺のことを話そう・・・。」
靖は、自分が中学校の教師であった事、十年後の世界から、車の事故をきっかけに、過去の世界へ来てしまったらしい事を,一言一言噛み締めるように話した。由香は、大きくうなずきながら、熱心に耳を傾けていたが、靖がバスとの衝突についての話をはじめたとき、
「あっ!」と、思わず声を漏らした。
「どうした?」
いぶかしげに、靖が尋ねると、由香は興奮気味に言った。
「そ、そのバスです。そのバスに、私は乗っていたんです。」
「えっ?」
「バスが,スリップして、反対車線に飛び出して・・・。そう・・・黒っぽいRV車に、正面から・・・。」
「そ、そうだ、それが俺の車だ。」
二人は,顔を見合わせると黙り込んでしまった。二つの記憶が重なり、何かが、見え始めてきた。そんな感触を二人は感じていた。
しばらくの沈黙のあと,靖がかすれた声で促した。
「それじゃ・・・、今度は、十年後の君の話を聞こう。」
「はい・・・。」
由香は自分の事を、ポツリポツリと話し始めた。
 由香は、靖と同じS市のアパートに、二年前から住んでいた。高校卒業後、看護学校に入学し、看護婦の国家資格を取得していた。現在は、靖の勤める中学校の隣町の総合病院で、看護婦として働いていたのだと言う。
途中,靖が口を挟んだ。
「へえ、同じS市に住んでいながら、今まで全然気がつかなかったな。」
すると由香は、クスクス笑った。
「私は知ってましたよ。何回か先輩を見かけたし,先輩が中学校の先生になっているのも知ってました。」
「知ってたんなら、声をかければ良いのに。」
すると、由香は伏目がちにちょっとすねたふうに言った。
「ふつう、誰かさんが,女の人と腕を組んで歩いてたら、声をかけられますか?」
「えっ?」
「去年の十月ごろかな。映画館から二人で出てくるのを見ました。誰ですか?あの女の人は?」
由香が言っているのは、靖がごく最近わかれた交際相手だった。靖は,慌てた。
「そ、そんな事どうだって,いいじゃないか。話を続けろよ。」
すると、由香は頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった。そして、小さな声でつぶやく。
「どうでもよくない・・・。」
「えっ?」靖が聞きなおすと今度は大きな声で、
「どうでも良くありません!ちゃんと答えてください。」
と、つめ寄ってきた。気がつくと二人の顔は数十センチまで近づいていた。
なんの因果で,自分の過去の恋愛事情を話さなければならないのか、わからなかったが、そうしなければ収拾がつかないような錯覚を靖は覚えた。
「いわゆる彼女だよ。いて、悪いか?」
「・・・・・。」
由香はうつむいて黙ってしまった。手にしていた缶を握り締め,カキコキと、音を鳴らしている。靖は続けた。
「だけど、その映画を見た直後、振られちゃったよ。・・・見事に。」
「えっ!」由香が驚いたように顔を上げる。
「『あなたは、本当に私の事が好きなんじゃない。私を抱きながら,いつも違う誰かを思い描いているわ。』・・・だってさ。」
由香が真剣な眼差しで、靖を見つめ、乾いた声で尋ねた。
「・・・本当に?」
「嘘ついてどうすんの。こんなみっともない話。・・・でもね。」
「でも?」
「うん。図星だったんだ。彼女の言葉。・・・今になってそう思う。」
靖は由香を近くに見つめながら、そう言った。
由香は、神妙な表情で、今の靖の話しを反芻しているようだった。そんな由香を見ているうちに、靖は自分ばかりが異性関係で責められている事の、不公平さに気づいた。
「ところでさ・・・。君は、どうなの?」
「はい?」
由香は不意をつかれて、靖の質問の意図がわからなかった。
「いや,俺ばっかり、女性関係の事責められてるけど・・・。君こそどうなんだ?彼氏とかいたんじゃないの?」
すると、由香は顔をこわばらせると、つぶやくように言った。
「・・・いませんでした。」
「えっ?本当に、今まで一人も?」
「本当です。」
「なぜ?」
「なぜって・・・、理由なんか・・・あるけど、言いたくありません!」
「はは〜ん。」靖は腕組みをして、何か想像しているようだった。その様子を見て、由香がまた、頬を膨らませた。
「ああっ、私が大人になって、デブになったとか、ぶすになったとか、変な想像してるんじゃないでしょうね?」
「・・・えっ?違うの?」
「もう!」
由香は手にしていた、空き缶を靖の胸に投げつけた。
「ごめん、ごめん。そんなに怒るなって・・・。でも、君だったら、周りの男が放っておかなかっただろう?」
由香は、靖を上目遣いに見ながら小さくつぶやいた。
「・・・それは、何度か誘われたりしましたけど。断りました。」
「・・・・・。」
「もう、いいじゃないですか。これ以上しつこいと、本当に怒りますよ。」
そっちの方がしつこかったくせに・・・。と靖は思ったが、まずは、今の奇妙な状況を把握する方が先だと思い直した。
「そうだな。まずは、今の問題を解決する方が先決だ。・・・君の話、続けてよ。」
それでも由香は、しばらくの間、硬い表情をしていたが、やがて気を取りなおしたように、事故当日の事を口にし始めた。
 
「あの日、私は,夜勤だったんです。それで、バスに乗って病院まで行く途中でした。そうしたらバスが,急に横滑りし出して・・・。思いっきり体を投げ出された事までは覚えているんだけど・・・。目を覚ましたら、水島中の保健室のベットの中にいたんです。しかも、十年前の・・・。」
 しばらくの間,二人は口を開く事が出来なかった。要するに、靖の乗っていた乗用車と由香の乗っていた大型バスが衝突し、二人は、同時に十年後の世界にやってきてしまったと、いうことになる。
自分一人だけが、まるで時間の流れに漂う漂流者になって、十年後に流れ着いたと考えていただけに、同じ境遇の者がもう一人いるという事実がわかった事は、お互いにとって大きな慰めになるように思われた。
 やがて、沈黙を破って、靖が明るい声で笑い出した。
「はははははっ、考えてみれば、こんなおかしいことはないな。」
「何が,そんなにおかしいんですか?」
咎めるように、由香がまた頬を膨らませる。怒ったときの彼女の癖らしい。その表情もまた、かわいらしいから,どうしようもない。
「だってさ、本来、二十四歳の君が、十四歳の体にいる。そしてこっちは、二十五歳の俺が十五歳の体にいる。」
「・・・そう言われれば,変な感じ。」
「でも、俺が最後に見た君は、今の姿の君だったんだから・・・。全然、違和感がないな。もっとも・・・、あの頃は、ろくに話もした事がなかったけど。」
すると由香は、うつむきながら不満げに言った。
「先輩が悪いんじゃないですか。」
「えっ?」
「だって、私は先輩と話がしたくて,何度も話しかけましたよ。いろんな口実をつくって。竹刀の修理なんか、本当は小学校から剣道をやっていた茜ちゃんに聞けば、十分だったんです。それを、わざわざ、先輩に聞きに行ったりしていたのに・・・・・。」
「・・・・・。」
「女の子が、あんな事をするのに、どれだけ勇気がいったか、わからないんだから。」
靖は,新入部員だった由香が,竹刀の修理や、技の練習の仕方について、何度か尋ねてきた事を思い出した。
「そうだったの?ごめん・・・。」
靖は,すまなそうに小さな声で言った。
すると由香は、赤らんだ顔を上げ、潤んだ目で靖をにらんだ。
「ごめん?・・・まだ、わかってない!なんで、私こんな鈍感な人を・・・。」
「・・・ドンカン?」
「もう!いいです!」
由香は強い口調でそう言うと、靖に背中を向けてしまった。
由香は,本気で怒ってしまった。今の会話の中に、由香の靖への想いが精一杯込められていたのに・・・、彼がそれに気づいていないと感じたのだ。
しばらくの沈黙。そして重い空気が流れた。
「オホン!」
靖は,わざとらしくセキ払いをすると、気を取りなおしたように、口を開いた。
「お互いの事情は,大体わかった。それで、今日の事なんだけど・・・。」
しかし、由香は,相変わらず背中を向けたまま、うつむいて話を聞こうとしない。
「おい。」靖が,振り向かせようと、由香の肩に触れる。
由香は,その手を厳しく振り払った。
「触らないでください!」
その声は,涙声だった。
「ふう・・・。」靖は,困り果ててため息をついた。女の子の扱いが難しいのは、いつの時代も変わらないらしい、と靖は思った。
「わかった。それじゃ、そのまま良く聞いてくれ。俺には、かえってそのほうが好都合だ。」
「・・・・・。」
「今日,未来を変える危険性があるのに、三浦からチョコレートを受け取らなかったのは、他に好きな人がいるからだ。」
「・・・それはもう聞きました。」由香の声は、すっかり涙に濡れている。
「その好きな人って言うのは・・・。」
「・・・・・。」
「・・・菅原由香っていう、わがままな女の子だ!」
「・・・!」
由香の背中が大きくゆれた。嗚咽をかろうじてハンカチで押さえながら、ぼろぼろと涙をこぼす。
靖はその背中に向かって話を続けた。
「でも、俺はこんなだからな。顔も,スタイルも並だし・・・。とても君に告白する自信なんてなかった。」
「・・・・・。」
「だいたい、君は、十年前のあの時,和弘にチョコを渡していたじゃないか。それに、三浦茜と俺の仲を取り持とうとした。」
由香は,背を向けたまま,大きく頭を横に振る。
「俺だって,さっき、君から電話が来るまで、布団の中で泣いてたんだぞ。」
すると、由香は、靖のほうを振りかえり、声を涙で詰まらせながら口を開いた。
「・・・和弘先輩にチョコをあげたのは、成り行きだったんです。だって・・・だって、茜ちゃんや他の女の子が勝手に盛り上げてしまうんだもん。本当は、あんな事したくなかったんです。」
「・・・・・。」
「茜ちゃんの事だって、『靖先輩が好きだ』って、先に相談されてしまったから,私・・・・・。親友を裏切れなかったんです。」
「そう・・・。」
靖は,明るさをよそおいながら、茜の応援をしなければならなかった由香の胸の痛みを思った。
「でも。」由香が続ける。
「でも、今日は私、和弘先輩に正直に自分の気持ちを話しました。」
「えっ?」
「今日の昼休み、和弘先輩に、好きな人がいるから,おつきあいできませんて・・・。」(そうだったのか。)その時、靖はトイレの個室にこもり、時間が過ぎ去るのをひたすら待っていたのだ。
「それじゃ、二人とも・・・。十年前とは正反対の事をしてしまったわけだ。」
靖の言葉に、由香はその濡れた目で彼を見つめ,大きくうなずいた。
ややあって、由香がかすれた声で言った。
「でも、先輩。・・・これって、そんなにいけない事ですか?」
「・・・・・。」
由香は、感情を溢れ出すように、話し続けた。
「私・・・,私,ずうっと後悔していました。あのバレンタインデーの日に、自分の心を偽った事を・・・。だから、だから、今度は正直になろうって。」
「・・・・・。」
「でも、茜ちゃんだけは、裏切れなかったから・・・。私、靖先輩の事をあきらめようと思っていたんです。・・・・・だけど、ひとつだけ,ひとつだけ思い出が欲しかったから・・・。」
靖はこの間の夕方の出来事を思い出した。雪解け道に転んだ由香。そして、その由香を家まで送って帰ったあの日。
「あっ、あのボディー・ガード!」
「はい・・・。わたし、先輩が校舎から出てくるのを待って,わざと転んだんです。」
「・・・そうだったのか。だから、俺の記憶になかったんだ。」
靖は、そこまでひたむきに自分を想う由香の深い気持ちに、強く心を打たれた。
「すいませんでした・・・。」
そう言って,由香はうなだれてしまった。その大きな目からは大粒の涙が次から次へと溢れ出してくる。今まで,笑顔と言う仮面の中に溜め込んでいた心の痛みと靖への想いのたけが涙の雫となって、こぼれ落ちてくるように・・・。靖の中に急速に、由香への愛おしさがこみ上げてきてた。
 靖は,泣き崩れている由香を、ゆっくり抱き起こし,ベットに座らせた。靖自身も寄り添うようにベットに腰を下ろす。右手で,由香を抱き寄せた靖は、由香の耳にそっとささやくように言った。
「俺が,勇気がなかったために、君をずいぶん苦しめてしまった。もう、我慢しなくていいんだ。」
由香の目からは、それでもとめどなく涙が流れていた。靖は,抱き寄せた手で,そっと由香の髪をなでる。もう一方の手は,由香の白く透き通るような指先に、絡められて行く。「俺たち二人が、ここに来たのは偶然なんかじゃない・・・。俺が君を想い・・・、君が俺を想った。それぞれの想いが重なり合って・・・、今この時代に俺たちを再会させたんだ。」
由香が、そっと顔を上げ靖の瞳を見つめる。そして、二人はどちらからともなく唇を重ねあった。その唇や、指先や、胸。二人の体のすべての接点を通して、大きな血流が生まれようとしていた。あたかも,一つの生物になったかのように、靖は由香の鼓動を自分のものとして感じ、由香は靖の息遣いを自分のものだと思った。
 やがて、二人は唇を離すと、靖は由香の服を静かに脱がせて行く。由香はそれに抗おうとはしなかった。慈しむような目で、靖を見守る。そして、由香の、美しい白い胸と淡いかげりがが露わになったとき、靖は、そのすべての思いを情熱に変えて、愛おしみ、叩きつけ,流し込んで行った。二人は一つに重なりながら、このときが永遠のものだと知った。
 
※                     ※
 
 現場には、数台の救急車とパトカーが赤色灯をまわし、警察官と救急隊員たちが集まっていた。
「バスのほうの乗客は、全部で七名ですね。内六名は軽傷でしたが,女性客一人が、事故の衝撃で、ドアが開いたとき、外に放り出されたようで、ほぼ即死状態だったようです。」
「これかね・・・。」
若い警察官の報告を受けて、中年の警察官が女性の遺体に歩み寄る。
「この女性に重なるようにしている男性は?」
「バスと衝突したRV車の持ち主のようです。フロントガラスが割れていたので,おそらく衝撃でここまで飛び出してきたのでしょう。シートベルトはされていたようですが,バックルが壊れていました。・・・こちらも即死でしょう。」
「ふ〜む。しかし、この二人の仏さん、手をつないでるように見えるが・・・。」
中年の警察官は,ひとしきりうなったあと,救急隊員に向かって言った。
「すみません。こちらの遺体の搬送も、よろしく!」
折からの雪は、粉雪から大粒の雪に変わり始めていた。
「こりゃ、本降りになる前に、事故処理と現場検証を終えんとな・・・。お〜い。運転手は?バスの運転手は、どこだ?」
 冷たい夜空に、救急車の不安げな音がこだまし、ドップラー効果とともに,遠のいて行った。
 
 


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